平成27年総会・講演
(桜蔭会神奈川支部便り 第44号より抜粋)
日本の伝統的な食文化における食生活の知恵
昭41食 江原絢子
一.ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」
2013年ユネスコ無形文化遺産に「和食」が登録されたことは、多くの人に知られていることですが、登録された正式な名称は「Washoku, traditional dietary cultures of the Japanese - notably for the celebration of New Year」(和食、日本人の伝統的な食文化―正月を例として―)です。「和食」とは、そのあとの「日本人の伝統的な食文化」を示す象徴的言葉でもあり、和食文化をさしています。
和食文化を登録するきっかけとなったのは、2010年にフランスの美食術などが初めて食文化として登録されたことでした。2011年7月、農水省に検討会が設置されました。無形文化遺産の登録には、「保護条約」の定義にある「世代から世代へ伝承されること」や「たえず再現されること」などが必要とされるなどいくつかの条件がありました。
検討会では、当初、「会席料理を中心とした伝統をもつ特色ある独特の日本料理」として提出予定でしたが、無形文化遺産の趣旨からみて、国民の多くが育んできた伝統的な食文化を前面に出すべきとなり、最終的には上記の名称となりました。
二.和食文化の特徴
登録された「和食」(日本人の伝統的な食文化=和食文化)の特徴として、①自然の尊重、②健康的な食生活への貢献、③絆の強化への役割があげられます。自然の尊重は、もっとも特徴的な和食文化といえるでしょう。日本の自然環境のなかでは、米をはじめ様々な食材が育てられていますが、大根、なす、ごぼうなどの食材の多くは、各時代に海外から伝来し、各地域の環境にあわせて改良したもので、海流のぶつかる日本列島では、多種類の魚介類、海藻類が各地で利用されてきました。
自然を壊さないよう食材の持続可能な利用をするためにも、得られた食材を使い尽くす加工技術が工夫され、乾燥、発酵食品などとして、新たな食品をも生み出しました。味噌、醤油、酢、酒、みりんなどの発酵調味料は、かつお節、昆布、煮干しなどからとれるだしと組み合わせて、和食の味のベースともなりました。
行事と行事食の関係も自然の尊重と深くかかわっています。お正月は歳神様を迎える行事ですが、祭りや年中行事の多くは、人々の健康を願い、災害のない社会や豊作を願うなど自然を神として祈りを捧げることがその出発点にあります。行事食は、神への捧げものだからこそ、日常とは異なる特別(ハレ)の食物でした。それを下げて皆でいただくことを神人共食とも称します。おせち料理の内容に注目されることが多いのですが、少し前の人々は、むしろ歳神様を迎える12月の準備に力を注いでいました。また、これらの食事を地域の人々や家族が一緒に作ることで、地域や家族の絆を強化することにも役立っているといえるでしょう。
伝統的な和食の組み合わせは「飯、汁、菜、漬物」を基本形とて、八百年以上も伝えられてきました。飯の摂取量に偏った時代、健康的と思われない日常食も長く続きましたが、度々特別な日を加えることで、ある程度バランスを保っていたとも考えられます。現代もこの形を基本形とすれば健康的な献立をたてやすく、伝承したい形式です。
三.江戸時代に完成した和食文化
江戸時代には、農産物の改良や技術の開発が進み、流通網も発達しました。生産も拡大し、地域の生産物も江戸や大坂に運ばれました。また、醤油、酢、昆布、かつお節、漬物など加工品の多くが商品化されます。たとえば、千葉の醤油が江戸に大量に運ばれる江戸後期には、醤油を利用した料理が庶民層にも広がるようになります。
また、農書、料理書など食に関する本の出版が盛んになるのも江戸時代です。江戸など都市部では料理屋が発展し、料理の内容も充実するとともに、料理に対する心得、おもてなしの心など、目にみえない「和食」の精神を発展させるうえで影響を与えます。
料理書に記された料理の心得やおもてなしのこころは、和食文化の精神につながるものです。たとえば、料理は口だけで食べるだけでなく、鼻で味わい香りを楽しみ、また盛り付けの美しさをみて目で味わう、さらには作り手への心遣いを感じながら食べると述べています。また、時代に合わない料理は見直して、古いものでもよいものは取り上げ、現在の良いものを加えて、変えていく必要を述べています。
和食の料理の内容は、時代によってたえず変化しています。和食文化を次世代に伝えるとは、料理の内容を変えないことではなく、自然を尊重する精神など料理の背景となるこころや自然を持続可能な形で大切にしていくこころをともに伝えていくこと、それがユネスコ無形文化遺産に登録された伝統的な食文化でもあると思います。